1999年10月、文楽公演のスタッフとしてドイツの4都市をまわってきました。
その時のいろいろ面白かったこととか、変わったことなどを書きます。
公演地は、ベルリン、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ハンブルグ。
ベルリンでは「ドイツにおける日本年」というセレモニーの一環として公演されました。
他にも能や歌舞伎、アルフィーのコンサートなど盛りだくさんです。


出し物は「曽根崎心中」。
ベルリンの会場はシラーシアターと言って、とても大きな劇場です。


ベルリンには1週間滞在で、一日だけ2回公演があり、あとは1回公演で、計6公演です。
しかし、安全基準が日本と比べてとても厳しいので、日本では普通のことも、なかなかOKが出ないときがありました。
たとえば、服装に関してです。僕たちは、仕事中は、足袋に雪駄と言う出で立ちで作業をしますが、僕たちの格好を見た、ドイツのボスの開口一番、「その履物では、舞台では仕事が出来ない」と言うものでした。まずは出鼻をくじかれたようで、必死で「これは日本の伝統的スタイルで・・・」と食い下がって何とか許可をしてもらいました。やれやれこれから先どうなる事やら。ドイツ人スタッフの中には、靴の先に鉄が入っていてなぐりでたたいても平気という、服装の人もいました。l
そして、作業を進めていく間も、吊りものに付ける金具の種類がどうやら気に入らないらしく、ボス達が鳩首会議を開くことたびたび、僕たちはその間、心配そうに見守るだけでした。たまりかねてぼくは「日本では、この方法で何ら問題なくできる」と通訳を介して言えば向こうもすかさず「日本じゃいつも神風が吹いているのか?」と言い返してきました。彼が神風のことを知っていたのか、もしくは通訳がわかりやすいように訳したのか、、、ぼくの負け。しかし、何とか舞台も仕上がっていき、ドイツのスタッフとも仲良くなってきました。問題はお互いの名前をどう呼び合うか、とても覚えられないので、日本人スタッフの胸には、白ガムテープにドイツ発音で名前を書き、ドイツ人スタッフの胸には白ガムテープにカタカナで名前を書き呼び合うことにしました。このアイデアはとても便利で、この先、ミュンヘン、デュッセルドルフ、ハンブルグでも役に立ちました。
二日目は仕込みと舞台稽古。出し物の「曽根崎心中」は、日本と同じく、「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神の森の段」を幕を閉めて飾りかえるのですが、問題は「天神の森の段」。お初徳兵衛が歩くのにあわせて後ろに飾った町並みのバック絵をゆっくりと動かして天神ノ森に変えることです。殆どがドイツ人スタッフで、それも手一杯。この移動は何度も稽古しました。そして舞台稽古も現地の放送局のカメリハがありましたが、無事終了。
ドイツは消防法がとても厳しく、開演前にはファイアーマンが防火シャッターを下ろして点検するのです。ここで気になるのが文楽特有の大夫台。客席に張り出しているので防火シャッターはぼくたち裏方にとっては天敵のようなもの。出来るだけ客席をつぶさないようにシャッターから数pの所に大夫台を設置。何とかクリアー。そして彼らは芝居の公演中も、上下に一人ずつ監視しているのです。それも人形遣いが出入りする、小幕の中で、いつも厳しい顔つきでした。道行きのシーンでお馴染みの二つの火の玉も当然使うことは許されず、小道具係りが苦心して、火の玉に見えるような小道具を用意していたのです。その他に変わったことといえば、吊りもののバランスをとるために綱元においてあるシズ(錘のこと)。日本ではほとんどの劇場に10キロの錘が置いてあるのですが、ここには20キロだったか25キロだったか、とにかくとても重たいシズを使っているのです。


普通鉄の塊なのですが、これは珍しく鉛でできていました。ドイツ人はこれを軽々と持ち上げます。
驚くことには、このシラーシアターの地下には、スタッフ用のパブがあって、夜な夜な集まり、酒で盛り上がっているのでした。
このパブを切り盛りしているのは、テディベアと言う愛称の通り、体が大きくて、のしのしと歩く年輩のドイツ人でした。とうとう本名は知らずじまいで、ずっと僕たちは彼のことをテディベアと呼んでいました。このパブには常に、30リットルだったか、とにかく大きな樽が2個冷やしてあり、僕たちも毎晩と言っていいほど、彼らと飲み続けました。コミュニケーションをとるためにですよ、あくまでも、、、、
ロビーに飾った文楽提灯の余りをこのパブにぶら下げ雰囲気を出しました。


そんな甲斐があって、公演のほうは大成功で、連日カーテンコールの連続。とりあえず4回まではカーテンコールの段取りを決めてあったのですが、それ以後は成り行きで行くつもりでした。日本での公演はカーテンコールと言うものはやってないのでぼくも少し戸惑いがありました。しかし予定の4回目を終わっても拍手が鳴り止まず、ぼくは幕引き係りに悪いと思いながらもGOサインを出しつづけ毎回7回位やってしまいました。
それにしても何せ仮設で吊ってある定式幕なので冷や冷やものでしたが・・・
中日(なかび)頃だったか、ステージマネージャーがパーティーに誘ってくれたので、僕たちスタッフがレストランへ行き、テーブルに付くとその上には一人一つずつきれいにリボンをかけた包みがあり、「これは私からのささやかなプレゼントだ」と仰って、さっそく開けてみるとそれは文楽のTシャツ。


異国の雰囲気も手伝ってか、僕たちは大感激。この日までおいしいと思った料理は全くなかったので、ビールも料理もおいしくておいしくて、夢のようなひとときでした。ドイツ人スタッフは、恋人や奥さんが来たりしてとてもいい雰囲気でした。ここで盛り上がったのは日本の折り紙。日本文化の広め役になったつもりで盛り上がりました。たまたま持っていた日本のコインの五円玉や五十円玉も穴が開いているのが面白いのか、感激されたのでプレゼントしました。
そして楽日。この日の夕食は、テディベアがひるから何時間もかけて作ってくれたポテトシチューでした。


それはそれはとてもおいしくて、何杯もおかわりをしてしまいました。
最後の公演も終わり、道具をばらして、トラックに積み込み、フラットになった舞台で、全員集合で写真を撮りました。


中にはこの日にはじめて見た人もいましたが、そんな人も含めて、この後パブで大いに飲んで騒いだことでした。


そしてこれは、海外公演に行くたびに思うことなのですが、どこへいっても日本ののこぎりには、感心されます。日本ののこぎりは引いて切りますが、外国のは押して切るのです。日本式がほかの国でも使われているのか僕は知りませんが、理屈からいっても引いて切るほうが効率がいいと思います。「押す文化」と「引く文化」の違いが、のこぎり以外の精神的なものにも派生しているのでしょうか。これはどなたかご存知の方がおられたら教えてほしいのです。