6月6日(火)

7時起床。
最初の朝食を食べる。ホテルのレストランの雰囲気はいい。シリアルとパンを2個ハム一枚。野菜と果物を食べる。
8時半にヴィンチさんがくる予定が、道が非常に混んでいて少し遅れると連絡が入る。


西
9時頃ヴィンチさんがルノーの「カングー」に乗って現れる。我々4人を乗せていざ出発。郊外に出る。

西
途中ドライブインにより、倉庫へついたのは11時前ですでにトラックは来ていた。

とにかく早くあの道具にお目にかかりたかった。

大きなドアが開けられた。入り口近くに懐かしくもいとおしいパネル類が無造作に置かれていた。
 西
去年マドリッドでヴィンチ氏と別れて、パリの倉庫で彼が孤軍奮闘(運転手など何人かはいたらしいけれど)しておろしてくれたのだった。
 
確認をしながら積み込んでいった。しかし、黒いパネルが4枚足りない。どこを探しても見当たらない。
恐れていたことがやはり起こってた。スペインのトラックストのおかげでマドリッドの千秋楽にようやくトラックがぎりぎり間に合って、ストに出くわして劇場に残したままのヒホンへ寄って道具を積んで来てくれたのはいいけれど、中の道具を確認する時間もなくて、すばやくマドリッドの道具を積んだので、どうすることも出来なかった。
シテドラの技術スタッフチーフのジョエルさんが来てくれて、すぐに劇場に電話して替わりになるようなものを手配してくださった。
何かアクシデントがあってもすぐに救いの手が差し伸べられるので非常にありがたい。
「舞台はひとつ」
運転手がとても丁寧に積むので時間がかかり12時を過ぎたところで、倉庫の担当者が昼休みなので扉を閉めるといってきた。
あわてて残りの細かいものを積み込んで倉庫を後にする。
外に出てからトラックは積みなおすというので運転手に任せて僕たちはヴィンチさんの車でドライヴをする。
ダイアナ王妃が激突死した場所では思わずシャッターを切る。

前方のトンネルの中が事故現場。当時ヴィンチさんは日本のマスコミから、事故があった同じ時間に同じ車でここを通り過ぎて取材をしてくれと依頼を受けたそうだ。
パリ市内の観光地を一巡りして、ヒグマと言う日本料理の店へはいって、おいしい炒飯を食べる。壁には日本の食堂よろしく日本人の色紙がいっぱい飾られていた。

4時半頃劇場につくとすでにトラックから道具を半分以上おろしてくれていた。
荷物を降ろして、8日に公演をするオーケストラの稽古風景を見学する。
 
ほんとに何もない舞台。どう変身するのだろうか。
カフェテラスでヴィンチさんと中司君の3人でビールを飲んで解散。
7時頃からメトロの初乗りで凱旋門を目指して一人で外出する。

ここのメトロはわかりやすい。

凱旋門に上る螺旋階段。

凱旋門の屋上からの眺めは抜群だ。放射線状に張り巡らされた並木道。遠くに見えるエッフェル塔。
しばらくぼーっとする。
 


外へ出て、凱旋門から続くシャンゼリゼ通りを歩く。
だだっ広いだけの道にがっかり。興味のないブランドの店の連続。
僕の中ではシャンゼリゼと言う名前だけが先行していたようだ。
 
  

パリで初めてセグウェイを見る。


ずーっと歩いてチュイルリー公園でもしばらくぼーっとして、暮れていくパリの太陽を眺める。
今日本ではこの太陽を朝日として眺めている人もいるのだろうなぁ。
 
 

ルーブル美術館でメトロに乗りホテルに帰るつもりが、とんでもない勘違いをしてよく似た、でも全く違う駅でおりてしまい、一生懸命ホテルを探したが、どこにもないし、人にホテル名を告げて聞けども知る人もなし。1時間以上うろうろしていたらポリスマンがいたので劇場の名前を出したら駅を間違えていると教えてくれた。
ようやくホテルに帰ったのは、12時になろうとしているときだった。
外国で道に迷う怖さを始めて知った。